アイドル『嵐』に寄せるゲキオモ感情について
嵐が2020年をもって休止期間にはいって、はや1年半。
休止が発表されたときそれはそれは絶望した。生まれて初めての推しの喪失。その時想像してた休止後は地獄のような日々だったわけです。
でも嵐はすごかった。
国民的アイドルであるという正しい自負のもと、2年間かけて一旦のお別れまでの気持ちの整理をさせてくれた。
まずすごかったのは日曜の夕方休止発表からの夜の記者会見、ZEROでのコメント、Mステ歌唱。
嵐のことを嵐以外の口から語ることを許さないという強いプライドがあったし、僕たちからの言葉だけを信じて欲しいというメッセージがあった。
会見落ちなんて言葉がTwitterででちゃうほど、嵐の良さ凝縮還元みたいな会見で、休止の事実こそ受け止められなかったけど、多分全嵐ファン救われた。
あの会見がなかったら、次の日仕事絶対休みましたわ。(ちなみに嵐ファンの後輩と泣きながら仕事した)
休止発表後のMステは、嗚咽しながら見ました。。。人生であんなに嗚咽しながらテレビ見ること一生ないだろうな笑
すごいなと思ってるのは休止してからもDVD、映画の公開とまるで活動してるみたいにアラシゴトが続くこと。
おかげでなんだろう想像より遥かに凪いだ日々を過ごしているのである。
(映画のBlu-ray発売で一旦は終わりかな。。しみじみ。。)
ただ寂しくないわけじゃない。
高校1年から嵐のファンになり大学生になり、社会人になり、、、気づけば結婚までしてた。
5×20ツアーでOneLoveをきいたとき、しみじみと思ったんだよね。すごい長い間嵐ファンとして生きてきたなあって。
そばにはずっと嵐がいたなあと思って。
それができなくなることが悲しいんだなあって
一緒に歳をとりたかった
もちろん今でも嵐のファンで嵐の音楽共に生きてるけど、シングルやアルバムのリリースとその時々の思い出が紐ついてるみたいな、オタクしかできないスペシャルな歳の取り方をしてきたから、それができないのがシンプルに寂しいんだよねえ
何かのオタクになるとなぜもこう持て余すほどのクソデカクソオモ感情を抱いてしまうのであろうか?????
なんかこうアイドルってさ高校野球みたいなこう刹那的な存在だよね
今しかない今だけの必ず失われゆく煌めき
みたいな。
推しは推せるときに推せ。
全オタク心に刻むべし。